谷口雅春 08:44 07/13 2005
72年当時、自分が担当していた部分は、原子炉圧力容器内の炉心支持構造物であった(マーカー着色部分)
実際に原子炉設計に携わり、「データを偽造して地震に耐えうることにする」との会議に立ち会ったことから、技術者の良心で辞表を出した経緯を公表し、警鐘 を鳴らした設計者。しかし電力会社を広告主にもつ大手マスコミはこの事実を取り上げず、行政に知らせても音沙汰なし。東海地震が起きれば関東・関西一円に 放射能汚染が広まる危険性は高く、早急な対策が必要だ。「このままでは大変なことになる」という設計者の決意の証言を報じる。(取材・代筆、佐々木敬一)
私は1969年に東京大学工学部舶用機械科の修士課程を修了後、東芝子会社の「日本原子力事業」に入社し、1972年当時は、申請直前だった中部電力の浜 岡原子力発電所2号機(静岡県御前崎市)の設計に携わっていました。東芝が浜岡原発の受注先の一つで、私は東芝に出向中でした。
浜岡2号機の設計者は数十人で、1「炉心構造物設計」、2「制御棒設計」、3「汽水分離機・蒸気乾燥器設計」の3つのチームに分かれていました。私は1に所属し、核燃料を支える炉心支持構造物といわれる箇所を担当していました。原子炉の中心的な部分です。
必要なデータを私が集計し、それをもとに、計算担当者が耐震計算を行っていました。
◇「この数値では地震がくると、もたない」
ところが1972年5月頃、驚くべき事態が起こりました。部門ごとの設計者の代表が集まった会議で、計算担当者が「いろいろと計算したが無理だった。この数値では地震がくると浜岡原発はもたない」と発言したのです。
原因は、第一に、浜岡原発建設地の岩盤が弱いこと、第二に、核燃料集合体の固有振動数が想定地震の周波数に近いため、とのことでした。
第一の「岩盤が軟弱」という点では、浜岡原発の建設地は、150年前に発生した安政の大地震など200年周期でM8クラスの地震が起きており、岩盤が断 層、亀裂だらけで、地震に非常に弱い地盤です。しかも、今後起こるといわれる東海大地震の震源域は駿河湾といわれており、その駿河湾の震源地が、ちょうど 浜岡原発の真下に位置しているのです。
第二の「固有振動数」については、地震が起きた際には、周波数があります。その周波数と、核燃料集 合体の固有振動数が近い場合は、地面と燃料集合体が共振し、何倍も大きく振れることになります。耐震計算の結果、浜岡原発の核燃料搭載部分はその共振が著 しく、地震が起きたらもたない、との結果が出たのです。
◇3つの偽造
会議では、さらに驚くべきことに、計算担当者が「データを偽造し、地震に耐えうるようにする」と述べました。偽造は三点でした。
第一に、岩盤の強度を測定し直したら、浜岡原発以前に東電が建設した福島原発なみに、岩盤は強かった、ということにする。
第二に、核燃料の固有振動数を実験値ではなく、技術提供先である米ゼネラル・エレクトニック社(GE)の推奨値を使用することで、地震の周波数は近くないことにする。
第三に、原発の建築材料の粘性を、実際より大きいこととし、これにより地震の振動を減退していることとする。
私は、それを聞いて「やばいな」と思い、しばらく悩んだ末に上司に会社を辞める旨を伝えました。自分の席に戻ったところ、耐震計算結果が入った三冊のバインダーが無くなっていました。そのため、証拠となるものは何も持っておりません。
技術者の良心から日本原子力事業を辞することに。
その時の辞表。
それから1ヵ月位慰留を受けた後、私は技術者の良心に従い、警告の意味を込めて、退社しました。その後は、コンピューター関連会社など、原発とは無縁に 30年以上生きてきましたが、浜岡で地震が起きたら、核が飛散する、との考えはいつも頭から離れることはなく、横浜にマンションを買って住んでいた時もあ りましたが、もっと浜岡から離れた方が安全だと思い千葉に移り住むなど、私の人生に暗い影を落とし続けてきました。
こういうエピソードも あります。東芝の子会社を退社してから10年ほど経ったときのことでした。私は大学院時代の研究室のOB会に参加したのですが、そこでちょうど東芝と同じ く浜岡原発2号機の建設の一部を請け負っていたIHI(石川島播磨重工業)に勤める後輩と会いました。
私は、浜岡原発の耐震が持たないの を知って、会社を辞めた、と経緯を話したところ、各地の原発を回っているというその後輩は、「そう言われれば、浜岡はちょっとした地震でもビンビン揺れま すね」と言ったのです。中電や下請け会社など原発関係者にとっては、そんなことは周知の事実でありながら、安全に無神経でいることに暗澹たる思いに駆られ たものです。
◇関東、関西一円に放射能汚染の危険性
そして、2005年2月8日付の朝日新聞の朝刊記事に、「浜岡原発1、2号機 に亀裂」とありました。地盤が軟弱な上、大きな地震も無かったのにひびが入ったのは、やはり耐震性に問題があったのではないか、と私は驚き、このままでは 大変なことになると危機感を募らせ、証言を決意しました。
受理を伝える手紙だけ来たが、その後3ヶ月、音沙汰なし
その後すぐに、経済産業省の原子力安全・保安院と市民団体に告発文を出し、4月15日には静岡県庁で記者会見を行いました。経産省からは手紙の返事を受け 取りましたが、「今後調べます」との趣旨が記載してあるだけで、その後、音沙汰はありません。記者会見については、結局、取り上げたマスコミは地元静岡の テレビ局や中日新聞社など、ごくわずかでした。
記者会見の折、代表幹事の記者がニヤニヤと笑いながら私に質問してきたため、不思議に思っ たのですが、それは、巨大スポンサーである電力会社に楯突いても無駄だよ、という態度でももちろんあったと思いますが、それだけではない、と私は考えてい ます。記者の薄笑いには、「そんなわけがないだろう」との意識が働いていた、と考えます。
後で気づいたことですが、地元静岡では、事実とは逆に、「浜岡原発の地盤は福島原発の地盤より強い」との中電の言い分が、広く浸透しているのです。それは、反原発を訴える人々や記者の人々ほど、そう思い込んでいるように見受けられました。
中電が原子力委員会に提出した浜岡原発2号機の設置申請書には、参考資料として、電力中央研究所のレポートが添付されました。電力中央研究所とは、電力会 社の出資による財団法人で、国からの委託も受けており、御用学者を動員し、原発を推進している機関です。そのレポートに、福島原発に比べ、浜岡の岩盤は強 かった、との嘘の主張があるのです。
地元の人々にしてみれば、「安全であってほしい」との願いが、安易に中電の話を信じさせてしまっている、と感じました。
早急に対策を打たなければ取り返しのつかない大事故につながってしまいます。それは、一地元住民だけの問題ではありません。地震が起き、原発が破損すると いうことは、核分裂生成物が外に漏れるという事であり、東京・大阪を含む関東・関西一円が放射能に汚染される、ということを意味するのです。
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